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お酒を片手にまったり気分で暇つぶしのお供にどうぞ!めちゃくちゃ面白いよ〜(笑)】




1984年8月6日『リトル プリンセス』握手会イベントで

ユッコに逢う為に、大阪から名古屋テルミナを目指し

深夜に野郎3人がスクーターで国道163号−旧25号を走破!(*^^)v




皆さん、国道25号線ってどこにあるかご存知ですか? 三重県四日市市から大阪に至る国道ですが、
三重県亀山市から奈良県天理市あたりまではバイパス道路(名阪国道)になっています。このバイパスは
自動車専用道路になっていて(ほとんど高速道路と同じような環境だが制限速度は60km/h)
亀山−天理間は整備されたバイパス道路が走る一方で、これに並走する旧道も未だ25号線として
存在しています。つまり、スクーターで25号線を走って伊賀上野から亀山に出る場合、バイパス道路は
走れずにバイパス道路と並走している『旧道(旧国道25号)を走らなければならない』のです(^^;

今から(2023年現在)ざっと39年も前なんですよねぇ(^^; ホント懐かしいです(╥﹏╥) 当時はまだ
コンビニもめっちゃ少なくて、24時間営業のガソリンスタンドも少なくて、当然、携帯(スマホ)や
デジカメ、インターネット等も無い時代でした。もし当時にそういったものがあればもっと便利に
(ナビ使ったり、ガソリンスタンドを検索したり、何百枚も写真を撮ったり、高画質で動画も撮ったり、
いろいろと便利に・・)楽しめたでしょうが、もちろん当時は当時の楽しさがありましたよ(*^^)v
バイク用の小さい地図本を片手に(笑)仲間と「あーでもない、こーでもない」と、走ったことの無い道を
走るワクワク感。ホントにホントに楽しかったです。『ユッコに逢いに行こうぜ!』って仲間たちの
強い思いが、結局はめっちゃしんどかったけど、めっちゃ楽しい思い出として心の中に残ったわけです。
もちろんユッコに逢える楽しみもあるんですよ。でも、仲間とスクーターで遠出する場合はその道中も
めちゃくちゃ楽しいんですよ(*^^)v 追っかけしてた当時の懐かしい体験をお話したいと思います(笑)



※例えばですよ、彼女が出来てデートや彼女と二人で泊りの旅行とかはそりゃ楽しいですよ(笑)
ルンルン気分ですから(笑)それはそれでイチャイチャ♥(笑)出来るし楽しいんですが、野郎と一緒に
行動するのもメチャクチャ楽しいんですよ。野郎と行動する時ってある程度無茶できますからね。
サバイバル的な楽しみ方が出来るのがたまらんのです(^o^) 彼女連れて釣り(場所にもよるが・・)とか
夜中にスクーターで走りに行くなんて無理でしょ。釣りだと魚が触れない、生き餌が触れない、
女性だからトイレの問題もある。そういう意味では野郎と行動する方が気兼ねなくて楽しいです。いつまでも
心に残る思い出って野郎とあちこち行った思い出の方が彼女とのデートとかより強く心に残ってますから。






ちなみに、上の地図上、緑のラインがスクーターで走行した経路になります。左下から、「大阪」→「木津」
「伊賀上野」→「柘植」→「亀山」(Kと記号のある位置)→「四日市」→「名古屋市」となります。旧25号線の
終着点は亀山で、そこから1号線に合流します。亀山からは特に面白みも無く、ごくごく普通?に1号線を
走行したので今回の特集からは省かせて頂きました。あくまでもこのページの特集は、
「ユッコに逢う為に
大阪から名古屋までの道中で野郎3人がバカ体験&国道163号−旧25号線を走破!」
と題してお送りします(笑)

でも、四日市あたりで眠たさがハンパじゃなかったですよσ(^^; うとうとした状態で走行してて、
ガードレールに車体を少し擦ったんです。その瞬間「ハッ!」っと我に返って一気に目が覚めました(苦笑)
1キロほど?は、全く運転してた記憶が無かったですね(^^;) その右側をクルマが普通にビュンビュン
通り過ぎてたわけで、ホントにこの時、ダンプカーに惹かれててもおかしくなかったです。ホントに。
(1号線に出てからは交通量も多く、ネズミ捕りを警戒して常に30〜35km/hで走行してました(^^;)
   

 

              


左が '84年当時に、σ(^^;が乗っていた初代ヤマハジョグです。色はワインレッドでした。それと、右は仲間二人が
乗っていた初代ホンダタクト(厳密には2代目、初代タクトと同じAB07形式だがエンジンや外装がリニューアル)です。
一人は上の画像と同じオレンジ色?と、もう一人はチョコクリーム色?のタクトでした。シートが固くて、長時間
乗ってるとお尻がメチャクチャ痛くなるんですよ(^_^;) 当時はまだヘルメット着用義務はありませんでしたが、
当然僕たちはフルフェイスヘルメットを被って、革グローブもきちんと付けてました。仲間は小学校からの友達で、
高校は3人とも別々でしたが、大の親友でした。ユッコや桃ちゃんの追っかけ以外でも、3人とも釣りが大好きで、
しょっちゅう一緒に釣りに行ってましたよ。当時はバスフィッシング(ルアー)にハマっていて当然スクーターで
夜中から行ってました。近いとこでは生駒山の「室池」、有名なとこでは三重県の「青蓮寺湖」、奈良県の
「池原ダム」や「七色ダム」にもスクーターで行ってたから(笑) 池原ダムはバスの活性がよくて、当時はワームを
使えば簡単に釣れました(笑) ここ最近は池原ダムに行ってないのでよく分かりませんが、今はバスもかなりスレて
昔のように超簡単には釣れないかもね・・。 でも池原ダムは当時、遊漁料も要らなかったのに今は遊漁料が要るし、
あちこちにレンタルボート屋が出来てるんですね。久しぶりに池原ダムにも行きたいんですが、その前に
近々「自転車」で大阪から佐屋まで行ったろかいっ!と思ってますよ(笑) いつもクルマなんでね(^^;

でも、バカ出来る友達ってホントに貴重ですよね(笑)だって、しんどい思いをしながら名古屋までスクーターで
ユッコに逢いに行ったのが、σ(^^; 一人だけじゃないんですよ。
要するにあと二人、σ(^^;と同じように
ヘトヘトになって『バカ体験』をした奴が居るって事が凄いわけで(笑)でも、メチャクチャ楽しかったですよ。

(注)スクーターの画像は、僕たちが乗っていたスクーターの画像ではありません。
ネットから僕たちと同じスクーターの画像を拝借してきたものです(^_^;) 念の為

当時のσ(^^;のジョグですが、車体左サイド(↑のシート下のJOGと文字がある前方の数本のライン部分)に
一文字ずつステッカーを買って、文字を組み合わせて「MOMOKO」と、反対側の車体右サイドに「YUKIKO」と
貼ってました(笑) また、シート正面下のプラグを交換する為のフタ部分に、桃ちゃんの「青春のいじわる」を
買えば付いてくる、桃缶の大型ステッカーを貼ってました(^^; 当時の写真が出てくれば載せたいと思います。
 




★★僕たちユッコ仲間3人は、σ(^^;ヤマハジョグ1台とホンダタクト2台で、前日の夜11時くらいに大阪を
出発しました。経路は、国道163号(木津を経由)→(伊賀上野に出て)→国道25号線(旧25号線)→亀山市
→国道1号線で名古屋まで・・・と地図上では簡単に行けるでーなんて思ってました(^^; ただ、一つだけ
誤算がありました。出発する前に、σ(^^;も含め3人ともガソリンの残りの量が半分くらいだったんです。
でも、まぁ、途中で夜中も営業してるスタンドが
どっかにあるやろ・・と特に問題にもしてなかったのです。
事実、出発して直ぐの163号沿いには2〜3軒ありました。が、まだ半分くらいはあるし、木津を過ぎてから
スタンドがあれば、そこで入れよう・・と仲間と決めていました。ちなみに、仲間3人とも、木津から先の
163号線は走った事がないのです。つまり、仲間3人は大阪を通ってる163号線(4車線)をイメージしていて、
国道の両サイドには木津から先でも、それなりに店等があるんだろう・・・と安易に考えていたのです(^^;

ま、何だかんだ言いながら、木津までは特に何の問題もなく着きました。午前0時は回ってましたね。
営業後のレストランの駐車場で小休憩していると、パトカーが止まって警察官が降りて来ました。
いわゆる職質ですね(苦笑) 当時(1984年)の夜中でスクーター3台で高校生がたむろ(休憩(^^;)してる
わけですから、当然と言えば当然ですね(^^; 何してんねん?これからどこ行くねん?とか散々聞かれ、
僕たちもバカ正直(笑)に、岡田有希子ってアイドルを見に、これから名古屋まで行くんです・・って、
答えたのを今でもよ〜く覚えてますよ(笑) なぜなら、そう答えた時の警察官の、ポカ〜ンとした顔が
今でも鮮明に脳裏に焼き付いてますから(笑) はぁ?って感じでしたね(笑) また、これから先の163号線で
あいてるガソリンスタンドはありますかね?って、警察官に聞いたのもよく覚えています(^^; こんな時間に
あいてるスタンドはないでぇ・・って返事でした。でも、とにかく先に進むしかないので、初めて木津から
先の163号線を走りました。3人共、木津から先は初めて走るのでワクワク感は半端なかったですよ(*^^)

この頃は3人共"フカシ"で少しだけタバコ吸ってました(笑)ちなみにσ(^^;はキャビンマイルドでした(爆)
1984年当時でキャビンは260円でした。マイルドセブンが200円でしたから(笑) 安かったですねぇ(^^;
なので、当然今回もタバコは3人共持って行ってますよ(笑) 途中、ドライブイン等(当時は当然道の駅なんて
無かったですから)で休憩して、アイスコーヒー等を片手にタバコで一服するのが最高の至福でした(^^;)
ちょっぴり背伸びをして大人気分を味わいたい年頃なんです(爆) とにかく84年の夏は最高に楽しかったです。
だからって僕たち3人は不良とかじゃないですよ
(^^;グループで分けるなら"冗談好きの面白い連中"です(笑)






↑木津から先の163号線はこんな感じののどかな景色がしばらく続きます。
僕たちは、夜中だったので景色そのものは見えませんでしたけどね。ただ、
真夏ですが、街中と違って肌に当たる風はひんやりして気持ち良かったです。




木津から先は、左手に山、右手に木津川が並走してるとても爽快な道路なのです(*^^)v
ただし、僕たちは真っ暗な夜中に走ってるので、綺麗な景色そのものは見えませんがね(^^;
だんだん山奥に入って、更に時間が時間なので、対向車などはほとんどありませんでした。
もう3人共全開で(70km/h近く(^^;)走ってましたよ。メチャクチャ楽しかったです(*´艸`)
僕たちのスクーターは規制前(速度)のスクーターなので、軽く60
km/hオーバー出るんです。

・・・が、何か一つ忘れてはいませんか?(^^; そうです。残りのガソリンの量なのです。
木津と伊賀上野の間の距離を3等分して、丁度木津から2/3ほど行った地点で、仲間の一人が
ガス欠になりました。もう真夜中です。回りは真っ暗です。仕方ないので、けん引する事にしました。
と言っても、まだ走れる一人がガス欠したスクーターの後ろ(荷物を置くキャリア)に足をかけて
後ろから押す方法(大体、30km/hくらいのスピードで・・)で、もう一人が普通に走って、で、
2〜3キロ走ったら、今度は普通に走ってたもう一人がけん引を交代して、しばらくは走ってました。

こんな状態で、なんとか伊賀上野まで出れました。伊賀上野から25号線に変わるわけですが、
当然バイパスはスクーターは走れませんので、バイパスと併走している旧25号線を走ります。
そして、本当の意味での悪夢が・・。伊賀上野から数キロほど進んだところくらいでしょうか・・。
もう一人がガス欠になりました・・。 σ(^^;一人が最後までガソリンが残ってた事になります。
何度も言うように、真夜中で周りには何もなく、止まってても仕方ないので、σ(^^;が一人ずつ
けん引する事にしました。要するに、3人一緒には走れないので、σ(^^;が一人をけん引して
1〜2キロ先まで運んだら、Uターンしてまた戻って、残されたもう一人をけん引して、先ほど
けん引した一人のさらに1〜2キロ先まで運んだらまたUターンして・・と繰り返すわけです。
言ってる意味分かります?(^^; これが延々と続きました。メッチャしんどかったです(苦笑)

今思えば、一人をけん引してσ(^^;がUターンしてもう一人の仲間のところまで戻ってる間、先程の
仲間は真っ暗な所に一人で居るわけ(スクーターを押して少しずつ歩いてましたが・・)で、σ(^^;が
再び戻ってくるまで周りが真っ暗でメチャクチャ寂しかった(怖かった)んじゃないですかね(苦笑)

で、とうとうσ(^^;もガス欠になってしまいました。当たり前ですよね。けん引で余計にガソリンが
消費するわけですから。何度も何度も言いますが、真夜中で周りが真っ暗で何もない超寂しい
旧25号を3人でスクーターを押して歩くなんて、予想してなかったですよねぇ(苦笑)大誤算でした。
ガソリンが切れたスクーターって、押して歩くだけでもメチャ重いんですよ。とにかく、前に進む
しかないですからね。延々と真っ暗な道を3人でスクーターを押して歩きましたよ(苦笑) ちなみに、
こんな事もあるかも・・と仲間の一人が、出発前に灯油ポンプを持ってきてたんですよ。あの手動で
クチュクチュする安物の灯油ポンプです。皆さん、大体検討は付いてますよね?(^^; 何のために
仲間の一人が灯油ポンプを持ってきてたのか? はい、よそ様からガソリンを拝借するためです(笑)






↑YouTubeにアップされています、163号線、木津〜伊賀上野間です 。

当時の僕たち3人は、木津から先の163号線は走ったことが無かったので、メチャクチャ新鮮でした。が、
まさかこんな山道で、ガソリンスタンドが全く無いとは思ってもいませんでした。それなら出発して直ぐに
あいてたガソリンスタンドで満タンにすべきだったわけで(^^; それなら名古屋まではノンストップなので。
これも結果論の話ですからね。それと伊賀上野あたりまでは、3人共ガソリンが持つと思ってましたね(^^;

この道を夜中の0時以降に、途中でガス欠になるとも知らず、フルスロットルで爆走してたんですよね(^^;
動画の2分23秒あたりの「笠置ドライブイン」で僕たちも当時は同じように休憩しましたよ。懐かしいわぁ。
だいたい5分あたりで一人がガス欠になりましたねぇ(苦笑) で、そこからけん引で進むことになります(爆)







↑伊賀上野-柘植町です。左にJRが併走してる地点ですね。この一本道を真夜中に
仲間3人がスクーターを押して歩いてたわけです。周りには何も無く真っ暗でしたね。
左側が一段高くなっていて歩道がずーっとありますが、この歩道を押して歩きました。
たまにクルマが通るんですが、僕たちを見て、こんな深夜に何してるんだろう?と
一瞬クルマの速度を下げて、マジマジと見られるんですが、関わっちゃいけない、と
思うのか、直ぐに速度上げて消え去りますよ(苦笑) 僕たち見世物ちゃうで(^^;
暑くて汗ダクダクで、フラフラ状態でした。それでもよく諦めませんでしたね。
一度決めたことは必ずやり遂げる!! 3人共ユッコに対してそんな気持ちでしたね。




ただ・・、拝借するにも、肝心のク○○が周りに無いのです。周りが何も無くて辺ぴな場所で・・・。
これはこれで誤算でした(^^; で、ようやく見つけた1台の○ル○。給油口のフタなんかドライバーで
パカっとこじ開けて(苦笑) 灯油ポンプを差し込もうとした時・・、あれ?なんか変だぞ?・・・
そうなんです。○○マのガソリンタンクって、給油口からガソリンのある場所まで曲がりくねってて
ポンプの先が全然入っていかないんです。これも誤算でしたね(^^; で、「○○○」(笑)は諦めました。
しばらく行くと、今度はかなり古いスーパーカブを見つけたので、シートを上げて給油口を開けて
 クチュクチュしたんですが、100%ガソリンっぽく無くて、雨水が混じってるのか何なのか分からなくて、
結局断念しました。こんなの入れられないですから(^^; もうどれくらい押して歩いたでしょうか・・・。
段々夜が明けてきたのです(爆) あのぉ〜、僕たちもうとっくに名古屋に着いてるはずなんですけど(^^;

ず〜っと、押して歩いて、ようやく集落に辿り着きました。もうすっかり夜は明けきってます。
柘植町近辺まで来て、スタンドを探すも全くありません。正直、もう気持ち半分名古屋なんか
どうでもいい・・みたいな感じになってましたね(苦笑) とにかく疲れきってますから(^^;
仲間の一人が、名阪国道の伊賀S.Aが近いから、そこまで行こう・・と言いました。併走する
旧25号にスクーターを止めて、徒歩で伊賀S.Aまで駆け上がりました。で、ガソリンスタンドで
事情を説明しましたが、ガソリンを持ち運ぶ、手提げ用のタンクが無いとどうにもならない・・と
言われました。名阪国道(バイパス)は、上を走ってるので、スクーター自体をS.Aまで上げれないし。

伊賀S.Aは諦め、また押して歩く事になりました。何時くらいだったでしょうか?もう6時には
なってたと思います。さらに旧25号をしばらく行くと、やっとガソリンスタンドを見つけました。
ただし、まだ敷地内にチェーンがかかっていて開いていません。もうここで開くまで待とう・・と
仲間と決めました。もうヘトヘトでしたから・・。ガス欠になんてならなければ、もうとっくに
名古屋に着いてるはずなのです。何だかんだ言っても始まらないので、スタンドが開くまで
とにかく待ちました。夜が明けてからはもう暑かったですよ。それにメチャ眠たかったし・・。
そして、フラフラ状態(苦笑)で待つこと1時間くらい。スーパーカブで、従業員?経営者?らしき人が
やってきたのです。そして敷地内のチェーンを解錠して・・。もうその時の喜びようったら(*^^)v

3人とも「ハイオク満タンで!!」と声を合わせ(笑)、レギュラーなんて入れてらんねえぜ!って
感じでしたね。もうガソリンを与えられたジョグったら、「水を得た魚」ですね(笑) ガス欠の時は
単なるカボチャの馬車と化してたのに・・。とにかく、ガソリン満タンになった3人は名古屋を目指し
また激走するのでした。大体、伊賀を過ぎた辺りから、旧国道25号線(酷道とも言われる・・)は
道が段々悪くなり、現在は知りませんが、この時は舗装されていない(砂利道)箇所がありましたよ。

はぁ?『国道』だよね?それも25号の・・。2ケタの国道だよね?日本で一番重要な道路から、
1号2号って付くんです。日本で25番目に重要な道路なわけですよ。確かに名阪国道(バイパス)が
その25番目の重要性を担ってるわけですが、バイパスが完成するまでは、この旧25号線が、
いわゆる本線だったわけで・・。それが砂利道の、対向車が来たら通れない所があるって・・。
そりゃ、1○○号とか、2○○号とか、3ケタなら分かります。とにかく、初めて走るところだから
仲間とブツブツ言いながら、旧25号線の終点、亀山に着いたのでした。そこからは国道1号で
名古屋を目指しました。亀山からでも、まだどえらい距離があるんですけどね・・(苦笑)
 で、
1号線に合流してからしばらく走り続け、途中の喫茶店でモーニングを食べました。この時入った
店の名前は覚えてませんし、最近になってネットで調べてみたんですが結局分からずじまいです。

うっすら残ってる記憶では、店の真ん中に大きな鳥小屋があって鳥が自由に飛び回ってる喫茶店でした。
もし分かった方が居ましたらお知らせ下さい(^^; ストリートビューでも探したんですが、さすがに今は
店は無くなってるかと思います。気になって仕方なかったんで(^^; そして、名古屋を目指し、1号線を
淡々と走りました。1号線はさすがに交通量が多くて速度も出せません(調子よく速度出してると後ろから
警察に捕まる)から、サイドミラーをちょくちょく見ながらの苦痛の走行でした(苦笑) 特に面白くない所で
言うと、四日市あたりは眠たさがMAXで、回りは工業地帯で四日市を抜けるまではツラかったですかね。
 






ユッコと同じ時代を生きてこれてホントにホントに心から良かったと思っています(T_T)



確かに今はインターネットやスマホ、ゲームやデジタルカメラ等が普及してホントに便利な世の中になりました。
ただ、日本経済が活気だった昭和の時代・・インベーダーゲームや深夜喫茶、ディスコに歌謡曲、テレビにラジオ等
時代は間違いなく今よりも当時の方がはるかに楽しかったですよ。今の若い世代の人はもちろん当時は知らないし
今の時代しか生きていないので当然比べようもなく、もちろん今の時代が楽しいと思っているわけですが、
叶うならタイムマシンで、'80〜84年あたりに連れて行ってあげたいです(笑) 今よりも絶対に楽しいですから(*^^)




でも、若いっていいですよね。無茶できるんだから・・。この時の僕の年齢はユッコと同い年で、
まだ16歳でした(^_^;)(ユッコより数ヶ月誕生日は遅いんです(笑) 今、スクーターで名古屋まで
行けるかって言われたら、まぁ、行けないわけじゃないけれど、実際は行く気力は無いですよね。
何か超特別な目的でもない限りは無理ですね。普通にクルマで行くのなら今でも簡単に行けますけど、
クルマの場合、思い出として強く残るかと言うと、決してそんなに思い出としては残りませんよね。
ツラくてしんどくて、やっとの思いをして辿りつけたからこそ、思い出としてメチャクチャ残るわけです。
それと、まだ社会をきちんと分かってなかった高校生だからかな?(^^; 今思えば、悪い事をしてても
その時は悪い事と思ってなかった部分も多々ありました。これは大いに反省ですね。ごめんなさい。

その後、無事名古屋に着いてなんとかユッコにも逢えましたが、ガス欠してスクーターをそうですねぇ、
5〜6キロ近くは押して歩いたと思います(^^; 名古屋に着いた時には3人ともフラフラでしたよ(苦笑) 
暑いし、眠いし、クタクタで、汗で身体はベタベタだし(苦笑) とにかく頭がボーッとしてましたね(^^;

今思えば、帰りの道中の記憶はあまり無いんですよ。ただ、仲間の一人がパンクして(パンクではけん引も
出来ないんでね・・) またしばらく3人でスクーターを押して歩いたのは覚えています。途中のトラックを
専門に扱う整備工場?みたいなとこで、スクーターのパンクなのに親切にパンク修理して頂き、更には
僕たち3人に麦茶を出してくれたのはよく覚えています。ホントに親切な方でしたよ。こういう出会いも
ホントに素晴らしい事ですよね。帰りで覚えてるのはこの程度ですかね(苦笑) とにかく事故や怪我もなく
無事に帰ってこれたのが一番大切なのですよ。ホントしんどかったけどメッチャ楽しかったですよ(*^^)

また、同じ仲間(笑)と深夜にスクーターを走らせて、地方にユッコや桃ちゃんに逢いに行ったのは
何も今回の名古屋だけでなく、遠いとこでは岡山や福井などにも行きましたよ。福井は名古屋よりも遠く
当然、福井は福井でメッチャ楽しかったんですが、アクシデント(ガス欠等の・・)もなくて、意外と
スムーズに行って帰ってこれたので、今回は割愛してます。(きちんと当時の日記には付けてますよ(笑)



「少しだけ福井に行った時の事をお話すれば、出発はいつものように前日22時くらいに大阪を出て、国道1号で
京都→京滋バイパスで161号に出て、そこから奥琵琶湖まで琵琶湖沿いに走りました。で8号に合流して敦賀に
出ます。行きの道中で一番楽しかったのは何と言っても敦賀からですね(*^^) 敦賀を少し抜けた辺りで
日本海を左手に海岸線に出るんですよ。もう言葉に言い表せないくらい最高でしたね。もちろん真夜中なので
海そのものはハッキリ見えませんが、潮の香りと海上に漁船の灯りが所々に見えるんです。他にクルマは
走ってないし、ホントに最高でしたね(*^^)  で、海岸線から福井市に入るんですが、名古屋の時と違って、
道中これといったアクシデントもなくスムーズに走れたので、逆に早く着いてしまいました(苦笑) 夜明けと
同時くらいに着きましたね(^^; これでも道中は何度も休憩して時間を調整したんですよ。ガス欠しなければ
こんな感じですから(苦笑) 早く着いたので寝れましたし。名古屋とは身体の疲労度が全然違いましたね(笑)」





地方のイベントには必ず夜中から出発してました。これがメッチャ楽しかったんですよ (*^^) もちろん
基本的には大阪でのイベント、テレビ局の公開録画、生放送等を見に行くのがメインでしたが、この場合でも
夜中から朝日放送(大淀区)や毎日放送(千里丘)に行ってましたよ。ユッコと桃ちゃんを追っかけしてたので
ユッコと桃ちゃんが共演してた番組も多々あって(プロポーズ大作戦アイドル選抜、シャボン玉プレゼント等)
一粒で二度美味しい・・・じゃないけど(^^; そんな時はめっちゃハイテンションでしたよ(笑) 1984年は
ユッコと桃ちゃんの一騎打ちでしたね。同じ日に歌手デビューして、「ザ・ベストテン」のスポットライトに
一緒に出演もしましたし、ホントにこの二人は別格でした。ユッコはユッコの可愛さ、桃ちゃんは桃ちゃんの
可愛さがありました(*^^) 握手会イベントでユッコと桃ちゃんそれぞれ何度も握手してますが、当時は仲間と
「握手する直前にアロンアルファ手のひらに塗ろか?そしたら手が離れへんからしばらくはずっと一緒やで!」
と話してた事もありました(苦笑) もちろんジョークで話してたんですよ(^^;
とにかく目の前で見るユッコと
桃ちゃんは、この世のものとは思えないくらい(←この表現分かって欲しい(笑) メチャクチャ可愛いかったです。
ほんの50センチくらいの距離ですからね(^^; ユッコも桃ちゃんも両手でしっかりと握手してくれましたよ。
ホントに全てが懐かしい素敵な思い出です。今思えばユッコだけじゃなく、桃ちゃんの追っかけもしてた事が
σ(^^;にとってはとても大きかったと思います。ユッコと桃ちゃんにはホントに心から感謝しています(T_T)
 

 


ユッコオンリーファンの方には分からないと思いますが、当時自分はユッコと桃ちゃんの追っかけをしてました。
ほぼ同じくらい追っかけてました。なので『ユッコと桃ちゃんの違い』を自分は冷静に見てきたし、受け止めても
きました。例えば、「二人の事務所の違い」「レコード会社の違い」「売り出し方の違い」「ファンの違い」
「イベントやイベント内容の違い」「コンサートの違い」(ちなみに桃ちゃんはデビューした年にコンサートなし)
「賞レースの違い」・・・挙げればキリがないのでね(^^; ユッコオンリーファンの方から反感を買いそうですが
ユッコと桃ちゃんと同じくらい追っかけしてた自分だからあえて言いますね、ユッコと桃ちゃんは全く同じ日に
歌手デビューしました。で、ほとんど同じ時期に曲をリリースしてきました。デビューシングルはそれぞれ
「ファースト・デイト」と「青春のいじわる」2ndは「リトル プリンセス」「SUMMER EYES」いう感じです。


「花のイマージュ」と「夏色片想い」が同じ5月14日リリースです。あくまでも「花のイマージュ」は
リリース予定でしたが。で、この時点でユッコ9枚目と桃ちゃん8枚目(桃ちゃんは6枚目と7枚目の間が
5ヶ月も空いてます、これはこの時期にコンサートがあってその練習等でレコーディング出来なかったからです)
になるのでユッコの方が1枚分リリースサイクルが早いんですが、共に8枚目までを比べてみたいと思います。

簡単に言うと、1枚目から8枚目まで全て桃ちゃんが「売上枚数」「オリコン順位」もユッコを上回ってます。
桃ちゃんが初めてオリコン1位になったのが4枚目の「卒業」で、ユッコが初めてオリコン1位になったのは
8枚目の「くちびるNetwork」です。ユッコは8枚目で初めてオリコン1位を取りましたが、桃ちゃんは4枚目で
初めてオリコン1位を取ってから、5枚目,6枚目,7枚目,8枚目と毎回オリコン1位を取っています。桃ちゃんは
9枚目「Say Yes!」以降も1位を取ってますが、比較できるのは8枚目「くちびるNetwork」 までなので・・。

同じ8枚目の「夏色片想い」と「くちびるNetwork」は共にオリコン1位を取っていますが、他の最高位が
「夏色片想い」はザ・ベストテン2位、ザ・トップテン2位です。「くちびるNetwork」はザ・ベストテン4位、
ザ・トップテン5位です。ユッコオンリーファンの方は桃ちゃんのことはあまり詳しくないでしょうね(^^;

だから何が言いたいんだよ!?とユッコオンリーファンの方は少し怒り気味になっているかと思いますが(^^;
84年の賞レースは新人賞などユッコが総ナメですよね。「レコード売上」も「ランキング最高位」も「人気」も
全て桃ちゃんが上回ってるのに・・です。なぜだか分かりますか?大抵の方は薄々感じてるかと思いますが、
ここが芸能界の摩訶不思議なところなんですよね(苦笑)

そうなんです「ユッコは超一流芸能事務所」「桃ちゃんは三流芸能事務所」、「ユッコは超一流レコード会社」
「桃ちゃんは三流レコード会社」です(^^; はっきり言って桃ちゃんは二流芸能事務所でもなく三流ですよ(苦笑)
ちなみに桃ちゃんはデビュー当時「トライアングル・プロダクション」という芸能事務所でした。当然?ですが
今は潰れて存在していません(笑) 一方ユッコの「サンミュージック」は今も大手芸能事務所の一つですからね。

ある賞レースで、桃ちゃんの事務所は「賞レースは辞退させて下さい・・」と申し入れをしました。だけど、
事務所側は桃ちゃんをどんどん売り出す時期でありチャンスなのに自ら辞退なんて何かおかしくないですか?
悲しいかなこういう事が裏ではごく普通に行われているわけですよ。これが芸能界の闇なんですよねぇ(苦笑)
ユッコオンリーファンの人は決して認めたくないでしょうが、いわゆるこれが「出来レース」というものです。


それともう一つ桃ちゃんとユッコの事で書いておくと・・何度も当時は桃ちゃんとユッコと追っかけしてたって
言ってますよねσ(^^;夏休みには、握手会&新曲発表会で2人とも全国各地を回ってるんですよ。これが
めちゃくちゃ楽しいんですけどね(笑)で、大阪の千里中央にある「千里セルシー」って商業施設があるんです。
厳密に言えば"あったんです"。今は無くなってますが。新人アイドルの多くは大阪に来ると千里セルシーで
握手会をします。新人アイドルの登竜門的場所なのです。で、続いて朝日放送の「おはよう朝日です」に
出演するのが新人アイドルが大阪に来た時の一連の流れなのです(笑) 当然ラジオにも出演しますよ。

で、当然ながら桃ちゃんもユッコも「握手会&新曲発表会」で千里セルシーに来ています。1984年8月10日
桃ちゃん、1984年8月30日ユッコです。もちろんσ(^^;は両方とも前日の夜(大体23時〜)から徹夜で
参戦してますよ(笑) いつもの仲間2人と参戦です(笑)ページ冒頭↑の名古屋に行った2人の仲間ですね(笑)


《桃ちゃんの時》前日の夜に千里セルシーに着いた時にはすでにファンがたくさん来ててステージ前はもう
ぎっしり埋まってます。σ(^^;でステージ前から1/3くらいの距離の位置(ステージ前広場全体から)です。
これでも全然前の方だし、早く千里セルシーに来た方なんですよ。当日来たら多分良くて後方ですから。

で、握手会が始まる頃はステージ前広場は超満員、2階、3階、4階などからステージが見れる場所も
満員なのです。とにかくとんでもないファンの多さなのです。1万人以上は居てた感じですかね。


《ユッコの時》前日の夜に千里セルシーに着いた時には何人かファンは来てましたが余裕でステージ前の
場所をゲットできました。桃ちゃんの時を知ってるので正直拍子抜けしましたね(^^;

で、握手会が始まる頃はステージ後方には全然人が居ません(^^;要するにステージ前広場全体の1/3にも
満たない程度のファンの多さでした。もちろん
2階、3階、4階などからステージが見れる場所も
ガラガラです。そりゃそうでしょ。ステージ前広場から余裕で観れるのに2階、3階から観る必要ないので。


少なくともこの頃で桃ちゃんとユッコのファンの多さにはこれだけの差があったんです。σ(^^;は
実際にこの違いを目の当たりにしてますからね。まぁ、これには色んな理由があるんですけどね・・。
少しお話しますと、桃ちゃんは歌手デビュー(1984.4.21)前に既に「パンツの穴」で映画デビュー
してました。これが大きいのですよ。「パンツの穴」で人気に火が付いて、それから歌手デビュー
なのでその時には既に人気あるのは当然ですよね。ユッコも歌手デビュー前にラジオ等のお仕事を
してましたが、メディアの露出度が違いすぎましたよね。ラジオは可愛いお顔見えないしね(^^;




ユッコオンリーファンの皆さん怒らないで下さいね(^^; あくまでも当時、ユッコオンリーじゃなく、ユッコと
桃ちゃんの二人を同じくらいバリバリに追っかけてた自分が当時の二人を冷静に見てきた個人的意見なので(^^;
芸能界でユッコと一緒にお仕事されていました「サトミ・ヒトミ・ユキコの"
何かいいことないか仔猫ちゃん"」の
ヒトミ(川久保仁美)さんも『芸能界はとても嘘の多い所です』とσ(^^;に直接おっしゃられていますからね。





まぁ、話は変わって・・・。




1984年の夏ですが・・とにかく暑かったですよ(^^; めちゃくちゃ暑かったのはホントに良く覚えています。
だから当時は仲間としょっちゅう喫茶店に入ってはアイスコーヒーを(当時はレーコーと注文してましたよ(笑)
飲んでました(笑) でもよく考えたら喫茶店に入ると冷房がガンガン効いてて、それでアイスコーヒーなので、
結局身体が冷えてしまって(苦笑) 若いから特に問題ないんでしょうが、ホントは身体には良くないですから(^^;



でも、それだけ『若さ』って素晴らしいって事だと思います。無茶できたあの頃がホントに懐かしいです(T_T)
タイムマシンがあれば、もう一度追っかけしてたあの頃に戻りたいですね。メチャクチャ楽しかったあの頃にね。
確かにユッコはそこに居たんですよ。目の前で歌っていたんです。優しく微笑んでいたんです。 σ(^^;的には、
1984年3月あたり(ユッコも桃ちゃんも歌手デビュー前・・)に戻りたいですね。ホントに心からそう思います(涙)












最後に・・・。


今のネットはSNSが主流になってますよね。自分はツイッターしかしてませんが正直あまりツイートしてません(^^;
ぶっちゃけ、面白くないです(^^; 自分はね(笑) まあ、楽しいと思ってたら毎日がんがんツイートしてるわけで(笑)
個人的に言わせてもらえば、97年当時から設置してた「ユッコ掲示板」や「ユッコチャット」の方が楽しいです。
特にチャットはめっちゃ楽しかったです(笑) ユッコファン同士がリアルタイムで会話出来るんですから。今はLINEの
オープンチャット?があるらしいですが、正直興味ないです(^^;ネットも普及し始めた初期の頃と今とでは違ってて
やっぱり初期の頃の方が何もかも楽しかったです。ツイッターの何が楽しいのかσ(^^;は未だによく分かりません(笑)

ツイッター始める(ツイッターは日本で始まった時から知ってます)のも遅かったわけで。最初にツイッター知った時に
何か自分には合わないような気がしたんですよ。だからツイッター始めないでず〜っと避けてたんですが、ある人から
「今どきツイッターくらいしてないと!」とずっと前から口うるさく言われてたんです。で、仕方なく始めました(^^;

で、ツイッター始めてみた感想は、やっぱり思ってた通り面白くないです(^^; 「あくまでも自分は」そう思ってます。
なのでツイッターがめっちゃ楽しくてハマってる人はそれでいいと思います。その人は心から楽しめているのだから。
また、時間が経てば楽しいと思うかもしれないしね。少なくとも「今」は面白いとは思いません。何が楽しいの?(笑)

ツイッターについても言いたいことは色々あります。なんで140文字までなの?とか(苦笑)自分にとって140文字以内は
ハッキリ言ってキツイです(^^; このページを見ても分かるようにダラダラ絵文字も入れながら話すのが好きなんで(笑)

それに例えば、自分がAさんとBさんをフォローしてた場合AさんとBさんが会話してる時にその会話がわざわざ
自分のTLに流れてきて見せられる意味が分からん(^^; リプライを延々繰り返して二人が会話してるのを
ずっと見せられてる側としてはたまったもんやないです(苦笑) 二人は楽しく会話してるんでしょうけどね(^^;
ぶっちゃけ二人で会話するならLINEなりメールなりを使えば?と思います。二人以外に誰にも見られないんだし。
そうじゃないと話しにくいですよ。ツイッターでリプライを繰り返して会話してても、多くの人に見られてることを
常に頭に入れて会話しないとダメなわけでしょ。言いたいことも言えないでしょうし(苦笑)・・・なんて自分なんかは
思ったりするわけです(^^; その人と会話してるのに他の多くの人にも会話が見られてるって話しづらくないですか?
多くの人に向けて話してるわけじゃないからね(^^;

「いいね」に関しても、いちいちTLを細かく追って一人一人に付けるのってハッキリ言って面倒くさいです(^^;
なので自分は片っ端から「いいね」はしません。だから自分のツイートにも「いいね」なんて無理に
付けなくてもいいから・・と思ってます(笑) ハッキリ言って「いいね」って意味ありますか?「いいね」を
付けたらその人から直ぐに「いいね」を付け返される時あります。じゃあ「いいね」を付けなければその人から
「いいね」は付けてもらえなかったわけですよね?社交辞令か馴れ合いか知らんけど何かそういうのって息が
詰まりそうで自分は好きくないです。だから基本的に「いいね」は片っ端からしません。自分は偽善者じゃないんで(笑)
「いいね」とか付けられないように設定できればいいのにね。




ユッコの事だって毎日ツイートしようと思えば出来るんです。ユッコの話題で話したい事は山ほどありますから(笑)
ただ、イマイチそういう気持ちになれません。成満寺にユッコに会いに行ってきた・・と墓石の画像付けてツイート
してる人居ますね。それ自体を否定するつもりはないです。特に初めて成満寺に行ってきた人は
「ユッコに会ってきた!」と他の人に言いたくて言いたくて仕方ないでしょうし、その気持ちも十分分かるんです。
そのためのツイッターだとも思うし。

慰霊碑の上や墓石の前に持ってきた私物(フォトスタンド等)を置いたり、立て掛けたりして写真を撮る人も居ます。
で、その写真をツイートしたり・・。自分は今まで一度も私物を置いたりした事ないですが、その人の
気持ちも分かるんです。それが良い事か悪い事かじゃなくて、ユッコファンにも色んな人が居るんだなぁ・・と
いつも思ってるわけです(笑)


ファンの中には、ずっとお墓参りを避けている人も居ます。成満寺に行くとユッコが亡くなったのを認める事に
なるから・・とか、現実を直視したくない・・とか。ファンそれぞれに考えが違うのでその考え自体を
否定するつもりはありません。まぁ自分の考えを言わせてもらうなら・・現実は現実として真に受け止め、
ユッコの為に何が出来るかをσ(^^;はずっと考えてきました。自分は実際に起こった事に目を背けるつもりは
ないです。ファンの中にはあの日以来、ずっと封印してきた・・と言う人も居ます。

自分は一度も封印なんてしていません。封印なんてできませんから(苦笑) あのような事があったからこそ
もっともっと好きになって、もっとユッコの為に何かをしてあげたいって気持ちになりました。生前は
ファンしてたのに、あんな事があったから封印なんて少なくとも自分には出来ません(^^;)だからお墓が
出来たら直ぐに会いに行きましたし、それからしょっちゅう会いに行ってましたし、ネットが普及し始めたら
(96〜97年頃)直ぐにユッコサイトを作ったし、ユッコが居なくなっても
ユッコの為に何かをしてあげたいって
想いは持ち続けていました。封印してる時間なんて無かったです。まぁ、ユッコに対する考え方は
人それぞれですからね(苦笑)

中には数十年経って心の傷も癒えてきたので解禁したとか・・。σ(^^;から言わせると都合が良すぎませんか?
もう死ぬまで一生封印してたら?と思いますよ(笑) σ(^^;はあの事件直後本当に辛くて悲しかったけど
封印なんて考えは一切無かったです。本当のファンはそうじゃないと思うんです。ユッコが好きで
ユッコのことを心から想っているからこそ、あんな痛ましいことがあってもユッコを見捨てることなく
今まで以上にもっともっとユッコを好きになる・・。それが"本当のファン"だとσ(^^;は思ってますよ(笑)
あくまでもσ(^^;一人が好き勝手に思ってることなんで(笑)「いや、ホントのファンはそうじゃないよ・・」と
思ってる人も居るかも知れませんが、それはそれでいいと思います。あなたはあなた、
自分は自分です。それぞれ信じた道を歩けばいいんだから(笑)



自分は87年(ユッコが居なくなった1年後に慰霊碑が完成した)にお墓が出来たら真っ先に会いに行きました。
いつ出来るんや?とずっとずっと待ち続けていましたから。かれこれ今までに三桁の回数は行ってますね。ちなみに
ユッコに会える場所は成満寺だけ(四谷ではユッコに会えませんよ)なので、87〜96年辺りまでは1ヶ月2〜3回程度の
ペースで行ってました。でもネットが普及してユッコのお墓の場所がネットで広まり、一気に成満寺に行くファンが
増えてから自分は行く回数が激減しました(苦笑) 成満寺には誰も居ない時に行きたいのです。誰か(他のファン)居たら
ゆっくりユッコとお話もできませんから。特に遠くから来たファンでお墓や納骨堂に何時間も居続ける人居ますよね。
滅多に来れないのでずっと居たい気持ちも分かるんです。でもそれってお寺さんやお墓参りに来た人
(成満寺にはユッコ以外のお墓もある)に多大な迷惑をかけてるんです。そういうのに鈍感なファンも多いですよね。

自分は大阪なので成満寺までクルマで高速飛ばして片道3時間ほどかかります(笑) だけどツイッターで
「会いに行ってきたよ〜」と今まで一度もツイート(お墓の写真添付)した事ないですよ(^^; いちいち
ツイートする必要なんかないと自分は思ってるからです。ユッコに会いに行ってきた事なんて、自分の
胸の中だけで大切に大切に仕舞っておけばいい事ですから。自分はそう思ってますよ。だからと言って、
お墓参りしてきた事を画像添付でツイートするファンを否定してるわけじゃないですよ(^^;自分は自分の考え、
想いがあるんだよ・・と言ってるだけです。まぁ、とにかく今後もマイペースでまったりと
やっていきたいと思ってますσ(^o^)

ツイッター上にはたくさんのユッコファンの皆さんが居ますが、皆さん真面目な方ばかりですよね。自分は
「すっとんきょー」でかなりのお調子者なんでねσ(^^; 大阪生まれの大阪育ちなので仕方ない?んです(T^T)
当時の追っかけ⇧を見てもかなりのお調子者でしょ(笑) なのでツイッターでも真面目なユッコファンの皆さんと
お話するのは何か気が引けるんです(^^; その中にどうしても入っていけないと言うかね。当時ファンしてた
多くの方は今はアラフィフで当然ながら落ち着いた方がほとんどですが、(年齢が年齢なので当たり前
なんですけどね)自分σ(^^;は当時と精神年齢はちっとも変わってないんです(笑) そんな奴σ(^^;が
真面目な皆さんとユッコについてお話するのはホントに申し訳ないんでね。だからσ(^^;は寂しい
「孤高ファン」なんです(苦笑)ツイッターのフォローやフォロワーが少ない(自分からユッコファンは
フォローしません)のもそういう理由です。一人でも多くのファンと繋がりた〜い!なんて、正直今は
全然思ってませんね(笑)
σ(^^;は
「広く浅く」より「狭く深く」ですね(笑)

ぶっちゃけツイッター上だけでもユッコファンと思しき人はざっと数百人は居るでしょうね。
少なくともσ(^^;は、「この人はユッコファンだから」と片っ端からフォローしません。そんなの
キリがないんでね(^^; フォローやフォロワー数を増やしたいとも全く思いませんし。中には数千人とか
フォローしてる人居ます(自分のフォロワー数を増やしたい?)が、数千人のツイートをチェックしてるんですか?
1日だけでもとんでもないツイート数になりますよ(笑) とてもじゃないけど全て見れないでしょ。フォローは
してるけどミュートとか?もしそうだとしたら失礼な話ですよね(^^; ユッコファンでもホント色んな人が
居るなぁ〜とつくづく思ってます。同じユッコのことが好きでファンしてるのに気の合う合わないとか、
考えや価値観の違いで仲良かったり仲悪かったり(笑) で、それぞれにユッコに対する自分の考え方は正しい、
間違ってないと思ってる。人間って面白いですよね(笑)

「一人でも多くのユッコファンと繋がりたい!」と思って多くのユッコファンをフォローしている人を
否定している訳ではないですよ。その人にはその人の考えや想いがありますから。σ(^^;はそういう部分に
関しては20年以上も前に既に通り越してきてるんでね(笑)このユッコサイトは1997年に開設しました。
多くのユッコファンと繋がりたいと思って当初はアンケートも作ってました。「このサイトをどこで
知りましたか?」とか「ユッコの曲で一番好きな曲は?」とか・・。アンケートを送信すると
σ(^^;のメールに受信するようにしてました。で、そうですねぇ・・今までに1000人以上の
ユッコファンからのアンケートは頂いたと思いますよ。で、ユッコファンと言えど、色んな人が居ましたねぇ。
当時には既にオフ会もあり実際にお会いしたユッコファンの方も何人も居ます。今も仲良くさせて頂いてる
ユッコファンの方も居ます。当然ながらユッコに対する考え方の違い等で掲示板で言い合いの喧嘩したり、
気の合わないユッコファン(早く言ってしまえば、仲の悪いユッコファンね)の方も当然居ますよ(笑)
これはもう仕方のないことです。

σ(^^;は遅くにツイッターを始めたんですが、その仲の悪いユッコファンの方が既にツイッターを
始めてたんでしょうね。その方は名前を変えているのでσ(^^;は全く分からなかったんですが、
σ(^^;がツイッターを始めた初日に速攻でブロックされましたよ(笑)σ(^^;はユッコファンの皆さんに
向けて初めて挨拶ツイートしたんですね。で、そうすると何人かの人がリツイートしたわけです。そしたら
その仲の悪い人のタイムラインにも流れたんでしょう。多分その人「えっ、こいつツイッター始めやがったのかよ、
うざっ、直ぐにブロックしないと!」なんて思ったんでしょう(笑)それからσ(^^;はユッコファンと思える皆さんの
ページを一人ずつ見てて、その過程で「この人もユッコファンなのかな、どれどれ」とその人のトップベージに
アクセスすると、「ブロックされています」と出たんです(笑) σ(^^;ツイッター始めて1日も経ってないんですよ(笑)
名前はあえて言いませんが、その方のプロフィールを見ても頑固そうで、へそ曲がりな性格がよく分かりますよ(笑)
「気の合わない方、無言フォローはお断り、速攻でブロックします!」とか書いてましたかねぇ(笑)
わざわざそんな事をプロフィール欄に書くって、大体どんな人間なのか嫌でも想像できるでしょう(笑)無言フォロー
されるのが嫌なら鍵アカにすれば済む話。フォローされて嫌ならフォロー外せばいいだけの話。
いちいちプロフィール欄に書くとこが、その人の性格をよく表してますよ(笑) 超頑固じじいって感じです(笑)
こんな頑固じじいがσ(^^;と気が合うわけないんで(笑)




まぁ、くだらないことをだらだらと書きましたが・・(笑)





84年の暑い夏に追っかけ三昧してたお話を読んで頂いて有難う御座いましたぁ(*^^) 1984年の夏は
桃ちゃんとユッコの追っかけをしていて『人生で一番楽しかった夏』でした(^o^)v 当然千里セルシー
(大阪豊中にあった複合商業施設で新人アイドルの聖地。当時の新人アイドルは大抵ここで
キャンペーンしてます。そして朝日放送の「おはよう朝日です」に出演して歌うのが一般的なのです(笑)
にも84年8月10日は桃ちゃん、8月30日はユッコが握手会で来てるんで、当然今回の仲間と
徹夜で参戦してますよ(笑) 暑かったけど毎日が本当に楽しかったです。チャンチャン(笑)





ねっ、めっちゃ暇つぶしできたでしょ?(笑)




また書きたいことがあればここから先に追加していきますんで楽しみにしててくださいね!(⌒‐⌒)v



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