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【大阪MBS毎日放送ラジオ】サトミ・ヒトミ・ユキコの

「何かいいことないか仔猫ちゃん」





大阪MBSラジオ「サトミ・ヒトミ・ユキコの"
何かいいことないか仔猫ちゃん"」
最終回1984年3月25日(日)
深夜オンエア分

左から、ユッコ、サトミ(滝里美)さん、ヒトミ(川久保仁美)さんです。




ユッコが歌手デビューする前に既にラジオのレギュラー番組をしていました。
それが大阪MBSラジオでOAされていたラジオ番組「サトミ・ヒトミ・ユキコの
"何かいいことないか仔猫ちゃん"」(1983年10月16日〜1984年3月25日)です。

厳密に言うとユッコは既にテレビやラジオ等で芸能界デビューしていました。
"1984年4月21日"はあくまでも歌手(レコード)デビューということになります。

で、そのラジオ番組で出演されていた方のお一人、ヒトミ(川久保仁美)さんと
当ユッコサイトを通じて知り合う事が出来ました(/_;) ユッコファンが
今まで知らなかったユッコとの思い出もいろいろお聞きする事が出来ました。
今回このページを制作するにあたり、ヒトミさんから快く承諾を頂きました。  
川久保仁美さんに心より感謝申し上げます。本当に有難う御座いますm(_ _)m


(お話ししてくださいましたメール内容をそのまま転載(原文ママ)しています。ヒトミさんから
快く承諾を頂いております。また、ヒトミさん所有の貴重な写真等も提供して頂きましたm(_ _)m)







日曜日の演劇のレッスン風景を撮ったものです。
右手を上げているのは、「白浪五人男」を演じている最中の私です。
並んで立って、順番にセリフを言っていきます。すぐ後ろにかよちゃんが
いますし、一番右には*小緒里ちゃん、一番左には*奈美子さんがいます。
* 「奈美子・有希子・小緒里のドキドキラジオ」
の青木小緒里さん、松本奈美子さんです。


 

◇忘れていることも沢山ありますが、でも、ほんの数ヶ月でしたけど週に1、2度は必ず顔を合わせていましたから、彼女との思い出は多少なりともあります。今となっては、それはとても大切な思い出です。青春の1ページ、と言ってもいいのでしょうか。少しでも芸能界に足を踏み入れた立場から言わせて頂ければ芸能界はとても嘘の多い所です。私はいろいろ見ていますので、経験としてよく分かります。でも、そんな中で、彼女がデビュー後、どんな風に生きていたのか、私にはいろいろと想像するところもあります。彼女のようにとても繊細で純粋な女の子にとって芸能界ほど過酷な所はなかったのではないでしょうか。彼女の歌手になりたい、という夢はとっても素敵なことです。でも、彼女がもし、芸能界入りしていなかったら彼女は今頃、どこかで元気に暮らしていたかもしれない、とついつい考えてしまうのです。もちろん、一般生活においても、様々な苦しみはありますが。亡くなってしまった今、あれこれ考えると悲しくなるだけですけど、でも、彼女のことをずっと思い続け、彼女のことを知らない人達に彼女の素晴らしさを伝えることは、とても素敵で意味のあることだと私は思っています。当時からのファンの方と同じく、当時、私が受けた心の傷はとても深いものがあります。それほど長い間、親しくしていた訳ではありませんが、私の中では、ラジオをやっていた時の二人(かよちゃんと里美ちゃん)はとても印象深い人達です。ですから、あの頃の私には衝撃などというものではなかったです。そして、今でも、心の奥に、彼女がいるような気がします。







◇あんなことがあった、こんなことがあった、こういう人だったね、と、残された人達が語り続けていけば、かよちゃんはみんなの中で生き続けられるのかもしれません。もし、残された人達が彼女のこと、彼女との思い出を忘れたいとか、思い出したくないとか、考えるとしたら、彼女自身はどう感じるでしょうか。彼女の生きてきた十数年は一体なんだったのでしょう。彼女が一生懸命に考え生きた人生は一体なんだったのでしょう。そういう意味で、彼女のご家族以外の人達が、積極的に彼女を語ることは絶対に必要だと思います。それぞれに事情は違ってきますが、若くしてこの世を去ったスター達はいまだに語られ、新しく意味付けされ、伝説と化しています。彼女も当然そうあるべきです。彼女が一番輝いていた時代を語り継ぐのは、それを知っていた人達以外にいないはずですから。そして…私もその一人であるのかもしれません。本当に短い間でしたし、それほど深いお付き合いがあった訳ではありませんが、デビュー前の、もしかしたら一番彼女が希望に溢れていた時期に、一緒にお仕事していた一人として、彼女のお話ができることはとても幸せなことです。私は今まで、家族以外にはかよちゃんの話はしませんでした。できなかった、と言ったほうが正しいでしょうか。一般の人には、なかなか彼女の話は受け入れられないようです。だから、新しい知り合いは昔の私を知りません。下手に語ると、私の大切な思い出を汚される感じもあるのです。中には心無い言葉を吐く人もいますから。今回、こういう機会ができて、今まで心にたまっていたものを外に出してもいいのだと救われるような思いでいます。このまま誰にも何も言わず、忘却するに任せて年老いていくのかな、と思っていた矢先だったものですから。さぶやんさんにはちょっと負担かもしれませんけど、ぜひ、聞いていただければ、と思っています。







◇同じラジオでお姉さん的存在だった里美ちゃんがかなりインパクトのある…(^-^; 人だったために、かよちゃんとは、普通の会話が多かったと思います。とにかく、里美ちゃんの場合、とても開けっ広げな性格の人で、その話術はまるで漫談みたいでしたから。ラジオの収録の時は、里美ちゃんがリーダーシップをとってました。当時、かよちゃんと里美ちゃんは社長さんの家に下宿していて、確か、同じ部屋だったと思います。だから、二人は姉妹のようにとても仲が良く、二人だけに分かる話もいろいろしていました。当時の里美ちゃんは田原俊彦さんの大ファンで、何かあると「トシちゃん、トシちゃん」と言っていました。それで私が、「かよちゃんはアイドルでは誰が好きなの?」と聞くと「ヤッくん」と答えていました。当時の彼女は少しだけ、彼に憧れていたようです。里美ちゃんのトシちゃん好きはかなりなもので、部屋のあちこちにトシちゃんのポスターとかシールとか貼りたいんだけど、社長さんの奥さまに怒られるから貼れない、と笑っていました。二人にしてみれば、奥さまは結構こわい存在だったようです。礼儀などには相当厳しかったようですね。いつのことだったか忘れてしまいましたが、仕事の帰りに一緒に帰る機会があり、新宿駅から小田急線に乗りました。三人だけでです。その時、「もう遅いから夕飯は食べられないね、何か(マクドナルドだったか、ケンタッキーだったか…)買って帰ろうね」、と、二人で相談しているのを聞きました。やはり、下宿しているといろいろ気を使うようで、当時の私は、大変だな、と思ったものです。夜遅くなると食事やお風呂にも気を使う、と言うのは親元にいた私には分からなかったですから。かよちゃんが「結構、こわいよぉ」と、おどけて言っていたのを思い出します(^-^) まだ、デビューする前の彼女を知る人は誰もいなくて、だから、三人でお喋りしながら普通に電車に乗っていたんですね。今となっては、貴重な体験だと思います。







◇サトミ・ヒトミ・ユキコの「何かいいことないか仔猫ちゃん」は、毎日放送で放送されていました。確か日曜日の深夜だったと思うのですが。(初回が25〜25:30だったことは分かるのですが)もう記憶が曖昧になっているのでよく分かりません。資料は私の手元にほとんどありませんので、かえってファンの方のほうがよくご存じかと思います。私は当時ラジオスタッフの一人でらした方から、初回放送分をカセットにダビングして頂いたのですが、それ以降は自宅で聞いていました。当時私は高層住宅に住んでいましたので、ベランダにラジオを出してアンテナをのばすと、雑音はひどいのですが、かろうじて聞くことができましたから。以前にも書いたかもしれませんが、すでに出演が決まっていた滝里美ちゃんと岡田有希子ちゃんと三人娘ということで出演する子が必要、ということで、事務所内でレッスン生によるオーディションが行われました。同じ時期に私のようにレッスンに励んでいた子達がみんな受けたのですが、最終的には、私が選ばれました。何故選ばれたのかはよく分かりませんが、多分、声のバランスが良かったのでしょう。







◇ラジオの収録は、東京で行われていました。そこで録音されたテープが大阪に送られていたのです。当時のリスナーの方々は、それをご存じなかったために、「いつ収録しに大阪に来ているのですか?」と言う問い合わせもありました。収録していたのがどこだったのか、今となっては不確かです。大手町かどこかの駅で降りた、ビルの中の、本当に普通のオフィスのような所の奥にラジオのスタジオがあったんです。私はいつも一人で通っていました。確か、水曜日か木曜日の夕方の収録で、2本どりです。いつもスタジオには私達三人と、台本を書いていらっしゃった、田中のぶ先生がいました。台本はちゃんとした本ではなく、のぶ先生のお書きになった原稿用紙をコピーしたものだったと記憶しています。ラジオが始まった当初は、一度事務所の会議室で台本を読み合わせて、いろいろなアドバイスをスタッフの方に頂きながら、リハーサルを繰り返していました。そのうちに、直接スタジオに集まるようになりました。リハーサルの中で、のぶ先生を加えた四人でいろいろなアイデアを出しあい、台本をその場で書きかえることも何度もありました。のぶ先生は三人の感性をとても大切にしてくださいましたので、私達ものびのびとやることができました。でも、最初のうちは台本を読んでいるのがそのまま分かるような下手さ加減でしたし、三人バラバラにしゃべって収拾がつかなかったりと、なかなかうまくはいきませんでした。声の出し方、会話のまとめ方…どれもはじめてなので、思ったようにはいかなかったですね。







◇お正月に事務所の大先輩の太川陽介さんがゲストでいらしたんですが、収録が終わった後、スタッフの方に叱られてしまいました。三人とも気がついていなかったのですが、どうやら太川さんに対する口のきき方が悪かったようなのです。太川さんは優しい方なので怒らなかったんですが、あれがよその事務所の人なら大変だ、と言われました。ゲストとしてたてなければならないのに、まるで友達に話すように話していたらしいんです。後になってそのテープを聞くと、なるほど、そうなんですけどね。当時はなかなか気がつかなかったです。それと、リスナーの方が電話出演されるコーナーもあったんですが、やはり、話の仕方が良くないと言うことで注意をうけたこともありました。そういう意味では厳しかったですけど、とても良い勉強になったことは確かです。そうそう、ラジオとは関係ないのですが、事務所の会議室でリハーサルをしている時、暇な時間に里美ちゃんとかよちゃんがせっせと何かの紙切れに何か書いているのを見ました。その日、かよちゃんは原宿かどこかで靴下を買ったらしいんですが、そのことを書いていたんですね。全部経費でおちる、と言うことでした。私はとても羨ましかったです(^-^)







◇毎日放送宛てにきたハガキや手紙はそのまま東京に送られ、サンミュージックのラジオ・スタッフが管理していました。その中から、面白いと思うものをスタッフの方が選び、番組で採用していました。でも、採用はされなかったものの、面白いハガキがあると、みんなで話題にしていたこともありましたよ。ハガキや手紙が採用された人には当時、まだ日本では馴染みのなかったキャラクターのガーフィールドのグッズをプレゼントしていたと思います。それと、三人の似顔絵に三人の直筆のメッセージの入ったハガキなども送ったと思います。今でもそれをお持ちの方がいるかもしれませんね。ラジオの時のかよちゃんの印象は、明るくて優しい人、と言う感じです。里美ちゃんも彼女も既にデビューが決まっている、特別な存在で、私はただのレッスン生、と言う気持ちが当時の私の中にありました。そのために、三人で何をするにしても、二人より一歩引いてしまっていたんです。そうすると、里美ちゃんとかよちゃんが「遠慮してると損するから、もっと前に出ていいよ」と言ってくれました。それで、大分気持ちが楽になったことを覚えています。普段は明るくて笑い声のたえないかよちゃんなのですが、ひとつ、気になることがありました。感情の起伏がとても激しかったことです。とっても、陽気で、笑顔でいる時とあきらかに沈んだ声で、本番になってもまったくテンションが上げられない彼女がいるのです。当時の私が思ったことは、かよちゃんはとても繊細で傷つきやすい人ということ。だから、こんなにナイーブな人がこれから芸能界で生きていくのは大変なんじゃないかって、思いました。







◇私と彼女はひとつしか違わなかったので「ひとみちゃん、ひとみちゃん」ってよく彼女から声をかけてくれました。私が元気がないと、「どうしたの」と真っ先に聞いてくれましたし、私の台本にいたずら書きしたりする、茶目っ気もあってスタッフみんなに愛されていました。私も彼女のことはとても好きでした。それに、里美ちゃんとのコンビは絶妙だったと思います。生活をともにしていたからでしょうね。まるで漫才みたいな会話もありましたし。笑いの絶えないスタジオでしたね。書いているうちに、どんどん思い出してきました。どれも楽しい思い出ばかりです。かなり薄れていますが、まるで一本の映画みたいに、頭の中で映像や音がよみがえってきています。少しでも、当時の彼女の雰囲気、ラジオ収録の雰囲気が分かっていただければ、とても嬉しく思います。かなり曖昧なんですけど…最終回のとりの前にスタッフの方から最終回で好きな曲、思い出の曲を一人一曲ずつかけるから、選んでおいてね、と言われました。それで、私は確かアリスの曲を選んだと思います。中学生の時によく聞いていたんです。ところが、そのレコードがみつからないと言うことで、仕方なく、自分の持ってるレコードを持っていったと思います。かよちゃんは何の曲だったでしょうか。来生たかおさんの曲をかけた記憶があるのですが、最終回じゃなかったような気もします…。収録も無事終わり、調整室で三人とも花束を貰って、じゃあこれから打ち上げです、ということだったのですが、当時、私はフジテレビのドラマのお仕事(月曜ドラマランド・早見優主演「うっふんレポート」)が入っていて、ちょうどその日も収録の後にリハーサルがあり、打ち上げには参加できませんでした。かよちゃんと里美ちゃんが口々に「残念だねぇ」と言っていたのを思い出します。







◇かよちゃんと「ドキドキ・ラジオ」を一緒にされていた青木小緒里さん、松本奈美子さんもよく知っています。当時、私達レッスン生と一緒にレッスンされていました。演劇のレッスンはもちろんですが、ダンスや歌のレッスンも一緒だったと思います。私がサンミュージックのレッスン生になったのは15、6歳です。(記憶がほとんど消えていて、正確な年を覚えていません)やめたのは17歳の夏です。で、その間歌と演劇のレッスンをしていて、途中からダンスのレッスンが加わりました。演劇のレッスンは日曜日の午前中に、事務所のレッスン室で行われていました。今でもそうなんでしょうか。当時、様々な方がレッスンされていましたね。桑田靖子ちゃん(私はさえちゃん、と呼んでいます)やブッチャーブラザースのブッチャーさん、その他名前は忘れてしまいましたが、飛び入り参加もありました。もちろん、青木さんも松本さんもいました。かよちゃんもラジオが始まる前あたりからレッスンに参加していたと思います。あんまり大きな声が出なくて演技の先生に注意されていましたが、やっていくうちにかなり大胆に演技できるようになってました。当時、「白浪五人男」などの、普通の女の子が絶対に演じることのないようなものが、課題の中にありました。これは、皆の前で大きな声を張り上げる、と言う演技(演劇)の基本的な部分を学ばせるためだったかと思います。かよちゃんは最初、レッスン生達の大声と大胆な演技に、驚いた様子でしたが、だんだんそれにも慣れて、自分なりの解釈で演じていくようになりました。溶け込むのがとても早かったように思います。努力家なんですね。とにかく同性から見てもとっても可愛くて、とちると恥ずかしそうにしていたので、松本さんが「可愛い〜」ってひやかしていましたよ(^-^)









 
◇普通はこういう風に鏡にカーテンを引いた所でイスに座っています。それで、端から呼ばれて、みんなの前に出て行って、課題を演じるんです。最初はそれだけで、足ががくがくしたりしました。これは、いつもの席順ですね。レッスン生が変わる度に、微妙に位置がずれるのですが、演技の先生の真横のイスと、その正反対の端のイスは、特別な意味があったような気がします。この時は、先生の横にはかよちゃん、その反対の端には奈美子さんが座っていました。基本的にはどんな格好でもいいのですが、動き回るので、スカートとかハイヒールはだめでした。ですから、レッスンの前には、みんな着替えていました。
(貴重な写真です。一番右がユッコ、右から3番目が青木小緒里さん、一番左が松本奈美子さん、左から4番目がヒトミさんです)









 
◇当時の演劇のレッスン生達で撮った一枚です。かよちゃんはもちろん、小緒里ちゃんも、奈美子さんもいます。私はすっかり目をつぶっていて、かなり恥ずかしいんですけど(^^ゞ 二人の男性は、左側が演技の先生、右側が天田さんです。先生の名前をすっかり忘れてしまって、恐縮なのですが…。天田さんは、レッスン関係の責任者だったと思います。レッスン生の良きアドバイザーでした。
(実録まんが「岡田有希子」の8ページに、この写真のカット違い(モノクロ)が掲載されています。また、演技の先生は福沢先生です)








ラジオをやっている時に、一度だけ、かよちゃんのマネージャーさんの家へみんなで遊びに行ったことがありました。里美ちゃんと里美ちゃんの女性のマネージャーさんとかよちゃんと、私でです。事務所からそれほど遠くない所でした。行く前にみんなでスーパーに寄って、買いだしして、行きました。それでみんなでサラダとビーフシチューを作って食べたんです。野菜を切ったり、いためたり、かよちゃんも一生懸命台所で作ってましたよ。食事の後はトランプをした記憶があります。何をしたのかはちょっと覚えてないんですけど、私が負けたことはよく覚えています(^-^;「仁美ちゃん、遠慮しないで勝ってね?」なんて、かよちゃんにつっこまれて…(;^_^Aでも、とっても楽しかったです。かなり盛り上がりましたから。ここでも里美ちゃんは自分の世界に入っていて、しっかりトシちゃんの曲のテープを流してもらっていました(^-^)何時頃帰ったんでしょうか、暗くなってから歩いて帰ったような気がします。里美ちゃんもかよちゃんも一人暮しに相当興味があったみたいで、帰り道でその話題が出ていたように思います。この間お話した、三人で小田急線に乗って帰ったというのは、もしかしたら、この時だったかもしれません。ラジオの時は、収録が終わってからもまだ二人とも別の仕事がありましたから、一緒に電車に乗って帰るということはまず考えられないんですね。ですから、この時かなぁ、と今は思っています。







◇大阪は、今まで2、3度くらいしか行ったことないです。「仔猫ちゃん」のイベントで一度、行きました。大阪城築城400年祭とか言うお祭りがあって、大阪城の周辺でいろいろなイベントが行われていて、私達もその一角でイベントをやりました。まぁ、公開放送みたいな形式ですね。ただ、それが実際に電波にのって流れたのかは、記憶がありません…。行きの新幹線の中で、台本見ながら三人で小声でリハーサルしたんですけど、とても恥ずかしかったです(^- ^; 大阪に着いて、ホテルで食事してから会場入りしてください、ということで、タクシーを待っていたら、8人乗り(?)のワンボックスカーが来て、聞いたら、タクシーだというので驚きました。そういうタクシーは、私自身は一度も見たことがなかったんですよ。私だけかと思ったら、他の人も驚いてました。「さすが、商売人の街ですね」と、みんなで一様に納得しながら乗りこみました。その後、道を走り出してまた驚きました。みんな同じ方向に走っているのを見て…。大阪って一方通行が多いんですか?普通の広さの道でみんな同じ方向に走っているのって、とても不思議な感じで、気持ち良かったです。もう、三人で盛り上がりっぱなしでした。その後、ホテルで食事をしてから、会場入りしました。「仔猫ちゃん」のイメージキャラクターであるガーフィールドのトレーナーに着替えて、三人ともイベント会場に入りました。実は、当時ガーフィールドを扱っているお店が国内にはあまりなかったらしく、アメリカかどこかの会社から直接送ってもらっていたようです。その中から、私はトレーナーやぬいぐるみ、パジャマなどを貰いました。里美ちゃんやかよちゃんも貰ったと思います。ですから、今でもガーフィールドを見ると、「仔猫ちゃん」を思い出すんですよ。







◇イベントが終わった後、小学三、四年くらいの女の子が二人ほど、私達の着替えをしている控え室までやって来て、サインしてください、と言ってきました。それで、メモ帳みたいなものに、三人でサインしました。一応、サインを考えておいてね、と神谷さんに言われて、あれこれ自分で考えて、候補をいくつか見せてやっとОKが出たんです。そのサインを持ってる人は貴重ですね。三人で書いたサインなんて、他にないですから。イベントは、いつものラジオの各コーナーのハガキを読んだり、見に来ている方達にゲームに参加してもらって、勝者にガーフィールドのグッズをプレゼントしたりして、進みました。その時、写真を撮ってるファンの方がいたんですが、あの写真は今でもその方が所有しているのでしょうか。すごく見てみたいんですけど。イベントが終わった後、すぐ新幹線で帰らなきゃならなかったんです。でも、それで三人が納得すると思いますか?食い倒れと呼ばれる街にせっかく来たのに…それじゃあ、と言うことで、地元のスタッフの方がたこ焼きを買ってきてくださって、大阪城のどこかの広場のベンチに座って三人でふぅふぅ言いながら食べました。とっても美味しかったです。三人とも大満足だったのですが、そのスタッフの方が、屋台のたこ焼きで満足してもらったら困ります、ちゃんとしたお店で食べてくださいよ、そっちはもっとうまいですから、と言っていました。お好み焼きも食べたい、と里美ちゃんは言ってましたし、お店のはもっとすごいと聞いて夢がふくらみましたよ(^ -^)それを食べた後、すぐ新幹線に乗って帰りました。帰りの新幹線では里美ちゃんもかよちゃんも疲れて眠っていました。その時、かよちゃんはウォークマンで何かのテープを聞いていたのですが、あれは、デビュー曲か何かのデモテープだったのでしょうか…。あんまり、覚えてなくて、すみません。帰り、里美ちゃんの男性のマネージャーさんに、新宿の小田急デパートのレストラン街で和定食をごちそうになりました。そういうことはよく覚えているんですよね(^- ^;







◇掲示板見てますよ(^-^) 最近はちょっと見る時間がなかったのですがまた時間があれば、ゆっくり見させて頂きます。よく写真の画像が貼られていたりしてあれを見ていると、つくづく、かよちゃんってとっても綺麗な子だったんだなぁ、と思います。まぁ、少しの間、目の前で見ていたんですけどね(^ -^; あの当時と今とでは、また感じ方も違うのかもしれません。あの時は、レッスンに行くと綺麗で可愛い人がうようよとまで人数はいませんでしたけど、周りにいましたから慣れてしまっていたのかもしれません。今思うと、とっても贅沢な経験だったと思います。そんな中でもかよちゃんは特別綺麗で可愛かったです。性格も良くて、とても好きです。ファンの方が夢中になるのも分かる気がします(^-^)







◇明日ですね、お誕生日。32歳ですかぁ………。私はここのところ、厄年で(そのせいかは分かりませんけど)本当に周囲にも自分自身にもいろいろあって、心身ともに、ダメージが大きかったですが。かよちゃんもそういう年になるんですねぇ……。いろんなこと考えると泣いてしまいそうなんですけど。でも。彼女のことをこうして想っている人達がいて、その人達の間にあたたかい交流があって、それもこれもみんなかよちゃんを中心に動いていると思うと、あらためて、かよちゃんのすごさを感じます。顔が可愛いとか、スタイルが良いとか、心が純粋とか、歌や演技がうまいとか、それらすべてを含めて、人間的魅力がある人だからこそ、こうしていつまでもファンの方に愛されているんですね。これは芸能界の伝説のひとつです。私はそう思うんですけど……。一般の人に、もっと理解してもらえたら、いいんですが……。私の経験からも、とても厳しいものがありますね。でも、どんな偏見や誤解があっても、かよちゃん自身を傷つけることはできないはずです。そのファンの方も、その想いのすべても、です。誰にも汚されるべきではないし、それは絶対に不可能ですよね。人間の存在を、その生きたすべてを、いだいていた思いのすべてを、傷つけたり、汚したりする法なんて、この世の中にはないって、私は信じているんです。……本当に。かよちゃんのことを、みんな、純粋に見つめられれば素敵ですね。彼女の生きていたことのすべてを。人は後からいくらでも理由をつけたがりますけど。かよちゃんはきっと苦笑いするでしょう。

















Special Thanks / Hitomi Kawakubo.
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